「鬼と踊る」 三田三郎著 感想

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1はじめに

 初めて歌集を読んだ(買ったのは山尾悠子『角砂糖の日』に続いて二作目)。私は普段小説ばかり読んでいるが、『鬼と踊る』に関してはツイッターで知り合った鴨嘴&孔雀愛好家のペガサス氏(※自称)が猛烈にオススメしていたため興味を持った。ペガサス氏には他にも『針葉樹林』(石松佳著)・『鳥類学フィールドノート』(小笠原鳥類著)など、私が今まで興味を持たなかった短歌・詩の優れた作品を紹介してもらっている。

 私は生まれてからずっと築地や四谷荒木町など飲み屋街のすぐ側で暮らしてきた。まだ酒を飲める年齢にはなっていないが酔っ払いは沢山見てきし、その中には路上で吐く者、眠る者、些細なことで喧嘩を始める者もいた。だから三田作品の通奏低音である「酒」「ダメ人間」は私にとって馴染みの深いものであり、親しみを抱いた。

 

 

 

2好きな歌をいくつか

土下座にも耐えられるはず全身で地球を愛撫すると思えば

仕事はただのプレイで謝罪や土下座もその内の一つに過ぎない。仕事はそれぞれの役割の中で演じるただのプレイであり、やりがいを求めたり責任を感じる必要はない。だから土下座をするあなたも罪悪感を感じたり仕事相手に憎悪を抱かなくていい。ただ全身で地球を感じる。私(あなた)はただ全力(無心)で地球(宇宙)の恋人(セフレ)を演じ(感じ)そして同一化を経て赦しへ至るのだ。謝罪(祈り)は常に性的である

 

瞳孔が開いたコメンテーターの言うことだけは正座して聞く

これは意味がよく分からなかったが、瞳孔が開いた(異常な)コメンテーターと言うと思い出されるのは筒井康隆の『公共伏魔殿』や『俺に関する噂』で、そういった想起されるイメージ含め何か強烈な短歌だ。

 

うっかりと同志のように見てしまうソーラーパネルに降る大雨を

この歌集の中で一番好きかもしれない。

ソーラーパネルは水を吸い込まない。基本斜めに設置されているから雨は貯まらず流される。ソーラーパネルが社会であるとすれば雨(私たち)は社会にとって必要とされず安定した生活もままならない。そんな悲哀が感じられる。

不味すぎて獏が思わず吐き出した夢を僕らは現実と呼ぶ

 獏は中国から伝来した伝説上の生き物で人の夢を食べて生きると言われている。悪夢を見た後に「(この夢を)獏にあげます」と唱えると同じ悪夢を二度と見なくなると言う。そんな獏でさえも吐き出してしまう様な酷い悪夢を我々は生きている。あるいは現実とはその様な苦しいもので、苦しいからこそ現実なのだという意識が我々のどこかにあるのかもしれない。

 

交通量調査の男カチカチと心の中で起爆しながら

道を歩いている時、高級車を見かけると親指で起爆装置のボタンを押して車を粉々に吹き飛ばす妄想をよくしている。小三までは家が高速の上にあったので、毎日ベランダに出ては下を通る車を爆発させていた。私は交通量調査の仕事に向いていると思う。

 

段階を踏んで心を折ってくる合理主義者の縁なし眼鏡

私の父親

 

極度まで抽象化された父さんが換気扇から吹き込んでくる

「暑苦しい」の最も婉曲な表現。「抽象化された〇〇が」は日常で使いたい。